2007年10月31日水曜日

社会政治や経済制度の改革について独自の見解を

《校玢庐抗议》签议集(全25册)
北京 中国线装书局
198944 2007年12月 415,800円
精装
清末の政治家、学者馮桂芬(1809-1874)が著述した47篇・8万余字から成る政論書である《校玢廬抗議》は、「西学」の観点から、当時の官吏吏治、教育科学、財賦税収、水利建設、軍事力量などの問題を指摘し、社会政治や経済制度の改革について独自の見解を示したため、鈔本の形で「洋務派」の間で回覧閲読されていた。
馮氏没後の光緒2年(1876年)、《校玢廬抗議》が正式に刊行され、馮氏の政治見解は光緒帝の強い共感を呼んだ。「戊戌変法」の真っ最中の光緒24年(1898年)5月29日、光緒帝は、「将《校玢廬抗議》印刷一千部交軍機処」という諭旨を下し、その後、《校玢廬抗議》を各部院卿堂司の官員に配り、彼らの「簽議」(書面意見や評論)を求めた。
「簽議」の形式で《校玢廬抗議》や「変法」についての意見を述べたのは、大学士、内閣学士、各部院の尚書・侍郎、総理衙門や理藩院の官員、都察院都御史、御史、翰林院の侍講・編修、国子監の祭酒・司業・学正・助教、歩軍統領衙門や京城巡捕営官員、順天府府尹及び所属の知州、知県、同知など527人で、「変法」に対する態度も反対、賛成、支持などさまざまであった。
「戊戌維新」の失敗により、光緒帝が西太后に軟禁され、集められた200余部・463冊の「簽議」は長い間にわたり、厳重に保管され、その詳細は、殆ど知られていなかったが、本《<校玢廬抗議>簽議集》は、上述の「簽議」を、清中央部院卿堂司及び簽注者の職官人名順に全点影印収録する。

0 件のコメント: